ブレイク・スナイダーの脚本術 その6

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出来上がった脚本の最後のチェック

ブレイク・スナイダーの脚本術 最終チェック

主導権を握るのは主人公だ

主人公は自ら行動を起こしているか? あらゆる段階で主導権を握って行動し、しかも強い欲求や動機に突き動かされているか?

下書きの段階でありがちな問題の一つが主人公の行動力不足。構成、ストーリーの前進など他が上手くいっているのに問題があるの時、特に疑うべき原因。主人公がストーリーに引きずられてしまっており、主体性が無い。たいした理由もなく登場したり、行動の動機が薄く目的も曖昧。

主人公は自ら率先して行動しなければいけない。

台詞でプロットを語っていないか?

登場人物が<プロットを台詞で喋って>いないか? 行動で見せるべきところを台詞で語らせていないか?

登場人物の背景やプロットについての説明が必要だが、どう処理していいかわからず全部人物に喋らせてしまうのはアウト。<語るな。見せろ>が鉄則。映画は映像で語るストーリーであり、映像で表現できるのにわざわざ言葉で説明する必要はない。散歩している夫婦の夫婦仲が悪いのを表すのに、カウンセリングにかよっている話を二人がダラダラするより、若い女の子に見とれる夫の姿を見せた方が分かり易い。

主人公が元ニューヨーク・ヤンキースの選手だったという過去を知らせたいとする。「もうあの頃とは違うんだ。俺がニューヨーク・ヤンキースでスターだった頃。あの事故が起きるまでは・・・」などとせず、アパートの壁に昔撮ったチームの写真を飾っておき、主人公に片足を引きずらせる。観客は事故で選手生命が絶たれたと察するでしょう。

悪い奴はひたすら悪く

悪い奴は十分に悪い奴だろうか? 主人公は克服すべき課題を与えられているだろうか?

主人公はやるべきことをやり、率先して行動し、数々の障害も乗り越えているのに感動が無い時は悪役の悪不足が考えられます。この場合は悪役をもっと悪くしましょう。脚本家は主人公に同情しやすく過酷な状況をつい避けてしまいがちですが、主人公が大変な苦労をして障害を乗り越えてこそ観客は感動できるのです。

回転、回転、回転

プロットは前進だけでなく回転したり激しくならなければいけない。話が進むにつれて速度や複雑さが増していかなければいけない。等速だけでなく加速も必要。ミッド・ポイント以降、プロットは加速し緊迫感を増しているか? 第三幕の大詰めに近づくにつれて、主人公や悪役についてますます多くのことが明らかになってきた?

カラフルな感情のジェットコースター

よい映画はジェットコースターに乗っているようなもの。笑い、泣き、興奮、怖気、怒り、後悔、欲求不満など、観客はストーリーの展開とともにあらゆる感情を使い果たす。サスペンスであれコメディであれ、肝心なのは観客を感情的にヘトヘトにさせねばならない。

感情面が単調じゃないか? シリアスなドラマ一辺倒、もしくはコメディ一色になっていないか? 悲しいばっかりとか、欲求不満ばっかりになっていないか? ときには感情の息抜きができる部分はあるだろうか?

「やあ、元気?」「うん、元気だよ」

「やあ、元気?」「うん、元気だよ」のような退屈な台詞は時間の無駄であり作品を駄目にする。現実世界でよく使うありきたりな言い方をそのまま使っているなら、それは人物を生き生きと描く努力が足りない。

魅力的な人物はどこか人と違った話し方、独自の言い方がある。台詞は内容のみならず人間性(性格・過去・本音・人生観)を表し、人物の口が開くときは特徴表現のチャンスです。

台詞が上手いか下手かは、登場人物の名前を隠し台詞を読んで確かめる。名前を隠しても誰が喋っているか分かるだろうか? 区別ができない時は問題有り。特に脚本家自身の喋り方になっている場合が多い。登場人物は各自違った独特の喋り方をさせる。

一歩戻って

登場人物の成長、変化の過程は全て表す必要がある。もしそれが見えなかったら変化する前の地点を設定し忘れている。そんな時は”一歩戻って”、もしくは一歩一歩戻って成長、変化の軌跡を作っていく。

最初から完成している人物はつまらない。脚本家は自分が書いた主人公だからどう変化するか知悉しているし、苦しめたくない親心が働く。しかし、これといった問題や障害にぶつかりもせず主人公が成長してしまえば、観客は感情移入できない。主人公の変化の軌道はできるだけ早い段階から始まっているか? 主人公の精神的な成長は、最初から最後まで明確に描かれているか?

松葉杖と眼帯

登場人物を区別するための目立った特徴付けを行うというルール。馬鹿にしてはいけない、単純な仕掛けにもかかわらず効果的。

原始人でもわかるか?

原始的だろうか? 登場人物はみな根底に原始的・本能的な欲求、愛されたい、生き残りたい、家族を守りたい、復讐したい等々を持っているか?

原始人にもわかるというのは、観客が一番基本的なレベルで映画に共感できるということ。生き残る、飢えをしのぐ、愛する人を守る、死に対する恐怖など、人の本能的な部分を刺激していなければ面白く無い。本能的な欲求であれば世界中誰でも理解できる、それこそ原始人でさえも。

主人公だけでなく脇役も全て原始的な動機で動いているだろうか? 脇役が上手く表現できない時はこれを意識する。